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報告書&レポート

2005年5月19日 サンティアゴ事務所 中山 健 e-mail:nakayama-ken@entelchile.net
2005年32号

ローカルコミュニティー軽視による鉱山開発失敗例―アルゼンチン共和国Esquel金鉱床―

 ローカルコミュニティーとの協調・共生および環境への配慮なくして、もはや鉱山開発はあり得ないということは、今更言うまでもない。ローカルコミュニティーとの関係を軽視して鉱山開発を優先するあまりに両者の関係がこじれ、傷害事件まで発生する事態に及び、鉱山開発を断念せざるを得なくなった卑近な事例がある。アルゼンチン共和国Esquel金鉱床である。地元ニュース情報等のレビューに基づき、Esquel金鉱床の発見から事態の紛糾に至る経緯について紹介するとともに、この問題について考えてみる。

1. Esquelという町

 Esquelは、第1図に示すように、アルゼンチン南部Chubut州にある人口30,000人の小さな町である。主要な産業は観光と食品加工である。また退職者が多く住む保養地にもなっている。西方にはパタゴニアアンデスが展望でき(第2図)、北約200kmには南米のスイスといわれる観光地バリローチェがある。鉱床は、市街地から直線で北約7km、道路経由で25km付近の山地で発見された。

2. 金鉱床の発見

 Esquel地域一帯には、鉱化作用に関係したと思われる変質帯の存在は確認されていたが、大規模金鉱床存在可能性のある地域としてはほとんど注目されていなかった。英国のジュニアカンパニーBrancote社が金鉱床に注目し、1999年から探鉱を開始した。地表には、風化に対して強い石英脈が数枚突出して、屏風の如く連続するといったスペクタクルが見られる。実はこの地表に突出する石英脈自体にも数10g/tの金を含む部分があり、鉱脈そのものである。同社は、140,000haの鉱区の76.4%の権益を有し、残り23.6%をアルゼンチンのBembergグループが所有。地表はもとより、ボーリングでも高品位含金石英脈(金鉱床)が発見され、アルゼンチンでは久々の大規模金鉱床発見として注目を集めた。金量も2.45百万oz(2000年9月)から3.5百万oz、4.2百万oz(2001年2月)と次々に増大し、探査成果は、逐次ニュースで流された。また国際学会誌にもEsquel鉱床の成因論と探査に関する論文が掲載された。プレF/Sでは、開発対象鉱量は金量2.82百万oz、露天採掘、カーボンイン・リーチ法による金回収、開発費132百万USドル、年産500,000oz、10年間の操業でフィージブルとされた。
 鉱山操業により500人の雇用を生み出すものと期待され、Esquel町もアルゼンチン鉱業投資法を承知しており、ロイヤルティは法律では最高3%まで認められているが、2%とすることを了承していた。2001年6月にChubut州鉱業当局は、鉱山開発による環境影響評価調査を政府に依頼するとともに、Brancote社の資金サポートで、地元Esquel大学にも本プロジェクトの社会・経済的インパクトについて調査を依頼するなど、行政サイドでも開発を前提とした動きが始まった。

3. Meridian社によるBrancote社の買収

 Brancote社は、探鉱会社であり、同社による開発はないことから、同社が何時どこに権益を売却するか注目されていた。2000年末時点でBarrick Gold、HomestakeおよびGoldfields社が関心を示していた。その後の経緯は明らかでないが、2002年4月に米国のMeridian社が、Brancote社の買収を発表。2002年5月に買収手続き終了した。買収額は228百万USドル。Meridian社は、F/Sを2002年中に実施するとともに、環境影響評価の承認を同年12月までに取得、2003年中に建設を完了、2004年から本格的生産を開始したいとした。生産量は、年産300,000ozに縮小し、開発費90百万USドル、キャシュコスト100USドル(±)/ozで開発を計画した。しかし、その後状況は急変し、探査の継続はおろか今世紀の開発は困難と言われる事態に追い込まれた。

4. 事態の紛糾とMeridian社の対応

 以下、事態紛糾の経緯を時系列で追ってみる。

  • 2002年12月:地域住民が鉱山操業でシアンを使用することを初めて知り、騒ぎ出す。住民の恐怖を鎮める為にMeridian社は、シアンについての説明会を開催。同時にChubut州政府と町は、この開発は地域開発に重要であることを住民に説明。環境影響評価のための公聴会が環境影響調査完了後の12月4日に予定されていたが1か月延期されることになる。Esquel以外の周辺町村の住民も鉱山でシアンが使用されることを知り、鉱山開発に対して反対デモを行った。公聴会は、1月4日から1か月、更に3月29日まで延期されることになる。Meridian社は、この時点で未だ2003年中の開発開始を期待し、「アルゼンチンのような鉱業に慣れてない国では、一部過激な住民による煽動は良くあることだ」とコメント。
  • 2003年2月:町は、3月に開発の賛否を問う住民投票を行うことを決定。2月21日地方裁判所は、住民からの訴訟を受けてEsquel探査現場での全ての作業を中止するよう命令を下す。グリンピースに先導された環境NGO団体が反対運動に加わる。これに対してMeridian社の幹部は、「Esquel市民は賛成しているが一部の過激派やアウトサイダーが反対している」とコメント。また「地元住民のみが住民投票に参加できるので投票には勝つだろう」と自信を示し、2004年生産開始の方針は変えず。
  • 2003年3月:州議会は水理調査結果が出るまで公聴会の開催を延期する法案を可決。Meridian社は、「水理調査では、水源に影響がないという証明が出ると信じている。地元住民の反対により開発が遅れている」とコメント。3月13日グリンピースがブエノスアイレスでバリケードを築いて抗議行動。地元Esquelでも様々な反対運動が活発化。Meridian社は、「住民投票では勝利する。もし負けても探査活動は中止しない」と強気のコメント。一方では「これまでの行動を改善し地元住民集会に出る努力をする」ことも言明。連邦鉱業庁も「法律を遵守する鉱業活動は、経済成長、雇用、インフラ整備に貢献する」とステートメントを発表。3月23日の住民投票において投票率70%で83%の「NO」が出た。しかしMeridian社は、「当初スケジュールどおり開発を継続する。また反対組織が間違った情報を地域住民に流し扇動したため」とコメント。3月26日州政府は、住民投票での大多数が反対したことから、Meridian社に対して作業の中止を命令した。Meridian社は3月31日作業の休止を発表。「住民との対話に集中する」とコメント。
  • 2003年5月:Meridian社CEOは「事業の展開を急ぎ過ぎた」とコメント。またMeridian社は、住民の懸念を理解するために、非営利団体であるBusiness for Social Responsibility(BSR)に調査を依頼。
  • 2003年6月:反対運動をしてきたコミュニティーグループが様々な分野の知識人を集め、地元で「no forum」を開催。
  • 2003年8月:BSRのレポートで、Meridian社は、ローカルコミュニティーに対する情報開示に問題があったと報告。特にシアンについての適切な説明がなされていないと指摘。
  • 2003年10月:Meridian社は、地方裁判所の判決を不服として、最高裁判所に抗告。Chubut州で金鉱床を探査している他の会社は、開発中止の判決が下れば、Chubut州で今後シアンの使用が出来なくなることを懸念。
  • 2004年2月:Meridian社は、Chubut州の新知事に対しEsquelの再開について要請。
  • 2005年4月:その後事態の進展は見られてない。

5. 問題点と教訓

 この問題の原因は、鉱山開発においてローカルコミュニティーとの協調・共生の重要性がこと更に叫ばれている昨今、Brancote社を買収して鉱山開発のため現地にやって来たMeridian社が、ローカルコミュニティーを軽視して、鉱山開発を優先しょうとしたことに尽きるのではないかと思われる。Brancote社は、数年間Esquel町内に探鉱事務所を設け、技術陣も長期に亘って町内に投宿していたが、Meridian社は地元には馴染みがなく、鉱山開発のために乗り込んできたよそ者であったに違いない。一方地元Esquelは、退職者が老後の生活を送るような保養地でもあり、先住民居住地域に比べると住民の知識レベルも高いはず。こうした地域で鉱山開発に関する知識や経験のない住民が、近隣でシアンが使用されるのを初めて知ったのは、Meridian社がBrancote社を買収してから7ヶ月後になる。その際にシアンについての説明会が開催されているが、シアンの安全性の説明のみならず、事業の透明性と理解促進のための説明が不十分だったことが指摘されている。やがてグリーンピースに指導された環境NGOが加わることになり、Meridian社の米国ネバダ州Paradise Peak鉱山での鉱害問題など負の情報まで知らされることになる。こうして、鉱山開発は、即、悪というイメージが益々増大して行ったことは予想に難くない。
 また、ニュース報道を見ると、Meridian社の地域住民の感情を逆なでするような発言が随所に見られる。その結果、住民の反発が加速化して行き、企業の意向とは反対に、益々泥沼状態に陥っていった。ついには州政府や地方自治体からもそのやり方が非難されるに至っている。更に、こうした混迷のなかでも最高裁判所への抗告や新任州知事への嘆願といった起死回生を狙ったと思われる行動が見られる。司法が合法、あるいは州政府が開発を許可しても、ここに至って果たして開発のスタートが切れただろうか。
 持続可能な開発は、ローカルコミュニティーとの協調・共生に基づく鉱業活動なくしてはあり得ない。すなわち、鉱業活動は、行政機関、企業、地域住民及びNGOといったステークホールダーの相互理解により、協調・共生を保つことが不可欠である。今回の事例は、開発企業のローカルコミュニティーとのかかわり方に問題があり、コミュニケーションを軽視したことが挙げられる。また、近年、持続可能な開発の理念に基づく企業の社会的責任(Corporate Social Responsibility:CSR)の観点での対応が強く求められており、この点で今回の事例は法令は遵守していたものの、ローカルコミュニティーに対する説明責任(accountability)が十分に果たされておらず、同意を得ない状況で開発優先を念頭においた企業行動は厳しく批判されるものであり、その結果を見せ付けられた出来事であった。近年では、ローカルコミュニティーの同意を得られたとしても、その域外にいるステークホルダー(NGO・NPOなど)の活動で企業活動やプロジェクトが制限されたり或いは中断に至る事例も報告されており、鉱山開発企業にとってはCSRに対する理解とCSRに基づく行動を求められる厳しい時代に入ったものと考えられる。
 残念ながら、Esquel郊外の山中地下に眠る100t近い金を含む鉱脈は、暫らく手着かず状態のまま残されることになろう。

第1図 Esquel位置図
 
第2図 探査現場から見たEsquel市街およびパタゴニアアンデス

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