報告書&レポート
ニューモント・ミナハサ金鉱山の鉱害問題の公判始まる
世界の鉱業界は、ニューモント・ミナハサ金鉱山(PT NMR:PT Newmont Minahasa Raya)における深海鉱さい堆積(STP:Submarine Tailing Replacement)がBuyat湾を汚染し地域住民の健康に重大な被害を与えたとして、インドネシア政府・地域住民らが同社を訴えている損害賠償請求訴訟及び刑事訴訟の動向を注意深く見守っている。 ニューモント・ミナハサ金鉱山は、インドネシアで初めて鉱さい処分にSTP法を採用した鉱山である。インドネシアには、金銀生産量で世界に誇るグラスベルク銅金鉱山、バツヒジャウ銅鉱山があるが、ともにSTPを採用している。これら訴訟はSTPの可否を左右し、両鉱山の生産活動に影響するばかりか、同国投資に関心を寄せる外国鉱山企業の投資意欲を減退させて、鉱山開発・探鉱プロジェクトを停滞させることになる。 これに対し、PT NMRは世界保健機構(WHO)、豪州科学産業研究機構(CSIRO)、インドネシア有力大学専門家らによるBuyat湾は汚染されていないとする環境影響調査結果を提示し無罪を主張し、住民らの原告代理人や関係者を名誉毀損罪等で訴えている。また法廷外では仲裁などを通じて和解交渉を進めている。これら一連の論争をBuyat湾論争(Buyat Bay Controversy)と呼んでいる。 本稿では、世界の鉱業メディアが報道するBuyat湾論争を理解するために、ニューモント・ミナハサ金鉱山の概要と操業方法、これまでの係争、同判決が与える今後の鉱業界への影響について考察したものである。 |
1. 鉱山概要
(1) 位置・気候 ニューモント・ミナハサ金鉱山は、北スラウェシ県の県都 Manadoの南東約115km(ジャカルタの北東2,414km)に位置する。
鉱山は赤道(0°52’N)のほぼ直下にあり年間平均気温は27℃である。7月から9月までの3か月間はオセアニア大陸からの風を受けて乾季となる。10月から6月までは、北東貿易風により雨季。年間降水量は、1,700mmである。
(2) 鉱床
ニューモント・ミナハサ金鉱山のMesel金鉱床はカーリン型金鉱床に分類される。その類似点には、硫砒鉄鉱中のミクロサイズの金粒と、金・ヒ素・アンチモン・水銀・タリウムの高い相関、脱炭酸塩化、ドロマイト化、珪化、アージライト化及び細粒の硫化鉱物に特徴づけられたシルト質炭酸塩岩の変質がある。母岩は中新世中期の石灰岩を中心とする炭酸塩岩で、それを中新世中期の安山岩貫入岩が貫く。変質作用には、脱炭酸塩化、ドロマイト化及び珪化があり、強いアージライト化が安山岩中にある。硫化鉱物は黄鉄鉱(1~4%)、鶏冠石、石黄、輝安鉱及び辰砂で、脈石鉱物として、石英、カルセドニー、方解石、ドロマイトが認められる。金は細粒(10ミクロン以下)で、硫砒鉄鉱中に存在する。硫化鉱(初生鉱)が全体の約80%を占め、残りが酸化鉱である。酸化帯は、地表下70mまで連続する。金の高品位部は断層を中心に発達する。
(3) 開発経緯:
1. 金産地帯として古くから知られる。1936年~1941年、オランダ人がTapa Beken&Doup鉱山を操業。
2. 1985年までは、イリーガルマイナーがトロンメルとアマルガム法により金を回収。
3. ニューモント・ミナハサ金鉱山は、Newmont社の探鉱により発見、開発された。調査は1984年から始まる。1986年にインドネシア政府と第4次世代事業契約(Contract of Work)を締結してから本格的探鉱が行われた。1988年にMesel地区で金品位10g/tの珪化露頭を発見し、1992年、Mesel、Nibong、Leons地区を対象にF/S調査を実施し、鉱量8.7百万t、平均品位Au 7.1g/t、カットオフ品位Au 2g/t、金量62tが明らかにされ鉱山開発に移行した。鉱山の開発経緯は次のとおり。
1984年探鉱に着手
1986年インドネシア政府とCOW締結
1992年F/S完了、承認
1994年AMADAL、RKL/RPL(環境管理計画/環境モニタリング計画)承認
1995年建設工事(投資規模2億3,400万USドル)完了
1996年金生産開始
2001年鉱量枯渇のため露天掘りの採掘終了
2002年インドネシア政府より鉱山閉山計画承認取得
2003年 | 8月31日、プラント運転終了(事実上の閉山) |
PT NMR 閉山後の地域対策としてYasasan Minahasa Raya基金を設立 |
2004年7月Buyat係争の始まり
(4) 生産実績
金生産量は1.9百万ozである。1996年から2004年までの生産状況を表1に示す。
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(5) 金生産プロセス
硫化鉱はシアンリーチングが困難なため焙焼し酸化した後、シアンリーチングを行う焙焼CIP法が採用されている。一部酸化鉱はリーチング処理された。
プロセス工程は次のとおり。
1.粉砕工程:プラントの処理能力は2,000~2,500t/日。鉱石は粉砕機(Crusher)で125mmアンダーに粗粉砕され、サグミル(Air Sweep Sag Mill)で850μ、さらにバグハウス(Baghouse)、ボールミル、ダイナミック分級機(Dynamic Classifier)で75μまで磨鉱される。STPの放泥量は2,000t/日、泥粒度は75μ。
2.焙焼工程:75μに調整された鉱石は直立ロースターで580℃で煤焼される。硫砒鉄鉱〔4FeAsS(s)+3O2(g)=FeAsO4(s)+SO2(g)〕及び黄鉄鉱〔4FeS2(s)+11O2(g)=2Fe2O3(s)+8SO2(g)=2Fe2O3(s)+8SO2(g)〕は酸化される。排ガス中の気化した水銀は静電回収機で回収される。
3.シアンリーチング工程:磨鉱に水を1:1で混合し、スラリー濃度を調整した後、青化ソーダと石灰を添加し金を溶解する。排水中に含まれるシアンは、後段のプロセスで無害化される。〔4Au+88CN-+O2+2H2O=4Au(CN)2-+4OH-〕
4.金回収工程:シアンリーチングの溶液を活性炭と接触させ金を吸着(Adsorbtion)させる。活性炭をスクリーンで回収し水酸化ナトリウム1%溶液とシアンソーダ0.1%の溶液で洗浄(Stripping)し、Sodium Gold Cyanideイオンとして回収。洗浄液を電解し陰極に金を析出、回収する。
5.無害化工程:有害重金属等(シアン、水銀、砒素、SOx)を除去するための4つのプロセス。
ⅰ | シアン:毒性の高いシアン8CN-は、空気を吹き込み硫酸ナトリウム、硫酸銅と反応させCNO-にして、さらに炭酸ガスとアンモニアに分解処理。〔8CN-+SO2+O2+Cu2++H2O=CNO-+Cu2++H2SO4→CNO-+2H2O=CO3-2+NH4+〕 | |
ⅱ | 水銀:水溶液に溶解している水銀についてはチオナトリウム(Na2S)を添加し沈殿物を生成し回収〔Hg2++S2-=HgS〕。気化した水銀については、塩化水銀(HgCl2)と接触させて二塩化水銀(Hg2Cl2)として専用スクラバー(Scrubber)で回収。〔Hg(g)+HgCl2(l)=Hg2Cl2(S)〕 | |
ⅲ | 砒素:、鉄源を添加し凝集沈殿法により殿物として回収。〔AsO4-3+Fe+3=FeAsO4〕 | |
ⅳ | SOx:湿式静電回収装置(Wet Electrostatic Precipitator〔WESP〕)で電解除去。 |
6.STP:金を回収した後のリーチングパルプは、パイプラインでBuyat湾まで導水し、沖合1,020m、海面下82mで放泥。海水の水温躍層現象を利用しスラリーを海底堆積したもの。水温躍層(Thermocline)とは、表層の軽い水と深層の水塊との間に形成された比較的密度成層の強い層をいう。これより以深で廃棄物を処分すると、海面には拡散されないとする研究結果に基づく処分法であり放射能の低レベル廃棄物の処分法として研究された。
PT NMRによるSTP採択理由は次のとおり。
ⅰ STPの環境リスク評価により安全性が確認されている。また、STP実施期間中、モニタリングが徹底される。
ⅱ 陸地処分は広大な用地を必要とする。
ⅲ 陸地処分は豪雨等により鉱さいが流出し地表水・地下水を汚染する可能性がある。
ⅳ 鉱山周辺に農業用地が多くその汚染を防止できる。
2. PT NMR関係基準
(1)排水基準:CN:0.5mg/L As:0.5mg/L Hg:5μg/L
【産業排水の基準に関する環境担当国務大臣令 (NO.KEP-51/MENLH/10/1995)】
(2) 鉱さい排出基準:pH:6~9 As(Ⅲ):0.5mg/L Hg:0.008mg/L CN:0.05mg/L Cu:1.0mg/L Fe:3.0mg/L
【環境管理庁長官レターNo.B-1456/BAPEDAL/07/2000】
(3)海水の基準値
1. 鉱山開山当時
As:0.01mg/L【付属書Ⅷ(No.Kep-02/MENKLH/1/88)】
2. 現在
As:0.012mg/L Hg:0.001mg/L
【環境基準値改正に関する環境担当国務大臣令(2004年4月8日)】
3. 環境汚染
PT NMRによる定期モニタリング調査のほか、インドネシア政府編成特別チーム、WHO(水俣病研究所)、UNSRAT (Sam Ratulangi University)医学部、CSIRO (Commonwealth Scientific and Industrial Research Organization)、Manado州立大学など多数の機関により調査が行われている。PT NMRが司法当局に提示ているBuyat湾の水銀・砒素データは次のとおり。
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なお、今回、政府技術調査団(2004年11月4日)等のデータを入手できなかったため、調査結果を比較することはできないが、政府は「Buyat湾は重金属で汚染されている」とする見解をとっている。ただし、同国健康省は独自の調査に基づきこれを支持してはいない。
4. Buyat湾論争
(1) 1996年~2004年
PT NMRに対する抗議行動は、世界各地で広がった反鉱業運動の一つの流れを受け、組織的かつ大規模に展開された。NGOは、2001年4月、インドネシア・北スラウェシのGLAN PURI MANADOホテルで深海鉱さい処分(STD:Submarin Tailing Disposal)に関する国際会議を開催。5月に英国ロンドンで、アジア太平洋、南アフリカ、アメリカ、カナダなどから24のNGOが参加し、「ロンドン宣言」を採択し、大規模鉱山による環境破壊の監視を強化しBuyat住民の健康と生活環境を保全するために組織間の情報交換を積極的に行うとの声明を発表。ただし、反対運動は法廷外の抗議行動とTIME紙などメディアへのアピールを主体としていた。
(2) 2004年7月から今日に至るもの
Buyat湾論争はこれまで急進的な環境NGOによる環境保護運動として受け止められている。しかし、今日の問題は、インドネシア政府環境省が鉱山会社に対し民事訴訟・刑事訴訟を行っている点で、外国投資企業に与える影響は大きい。
ニューモント・ミナハサ鉱山は、COWを取得し必要な許認可申請をクリアーして、開発、生産、廃止される鉱山である。開山当時、STPに関する環境影響評価、管理計画なども含まれ、環境省が承認を行っている。エネルギー鉱物資源省はCOWの契約当事者であり、環境省もまた監督機関である。生産稼行中に排出基準の超過や鉱山保安規則違反がある場合、両省は許認可を取り下げ、鉱山会社に対し改善措置を要求できる。こうした権限を有しながら、閉山を機に訴追が起こされた点でさまざまな憶測を呼んでいる。2004年7月から今日至る係争の経緯を第4表にまとめる。
Buyat湾論争の主な訴訟は次のとおり。
A 民事訴訟
1.Buyat湾住民らによる5億4,300万USドルの健康被害損害賠償請求(所管 Manado地裁)
2.環境省による1億3,300万USドルの損害賠償請求(所管 Jakarta地裁)
3.PT NMRによるKBH K(Buyat湾住民代理人)に対する名誉毀損の損害賠償請求(所管 Manado地裁)
4.PT NMRによる地域医に対する名誉毀損の損害賠償請求(所管 Manado地裁)
5.PT NMRによるK Foundation(公的コメントにおいて原告を汚染企業と名指し)に対する名誉毀損の2億USドル損害賠償請求(所管 Manado地裁)
B 刑事訴訟
環境省によるPT NMR及び同社長に対する刑事告発【最長10年の懲役と最大6万8,000ドルの罰金を求刑】(所管 Manado地裁)
<起訴状の内容>
鉱業に関する有害廃棄物は、法律No.85/1999廃棄物コードD222に定める重金属含有汚泥と溶剤とがある。インドネシアでは、危険、有害、有毒のインドネシア語の頭文字をとって通常3B(Bahan Berbahaya dan Beracun)と呼ぶ。STPの3Bは、シアン・水銀・砒素が該当する。政府はPT NMRに対し、法律No.23/1997第14章(Article)1節(Paragraph)に定める環境マネジメント及び第16章1節に定める生産活動者による廃棄物管理義務違反で告発している。
1.STPは水温躍層以深に放泥しなければならないが、混合域(Mixlayer)に放流されており有害廃棄物が海流、高波などの影響を受けて水平方向、垂直方向に拡散し、環境及び住民の健康に被害を発生。
2.PT NMRの月間報告書に鉱さい排出基準の超過が120余件、海水As基準の超過が3件報告されている。
3.PT NMRは2001年から2004年までの4年間、STPに必要な許可をとらずに有害廃棄物の海洋処分を行った。環境省の指摘では、環境管理庁長官文書(No.B-1456/BAPEDEL/07/2000)に基づくBuyat湾における生物リスク評価(ERA)調査において、同社は2001年1月11日に報告書を提出したが内容不十分で不許可としたにもかかわらず無許可操業を継続実施したと述べている。不許可の理由は次のとおり。
ⅰ | 報告書は、通常のERAとしての要件をみたしていない。 |
ⅱ | データが不十分である |
ⅲ | Buyat湾の水質に関し季節的変化をカバーするものになっていない。 |
ⅳ | ERAには環境管理庁、エネルギー鉱物資源省、北スラウェシ州知事、ミナハサ県知事、Bolaang県知事、NGO、大学、地域住民等の関係者の参入を義務付けているが、これに違反し独自の調査を実施した。 |
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5.今後の影響
(1)インドネシアで鉱業活動を展開する企業は、アジア経済危機等の時代にカントリーリスクをとりながらインドネシアに参入し、同国の経済を発展させ、地域の雇用を増大させ、学校、病院、道路・電気等のインフラ整備を通し地域社会に大きく貢献したパイオニアである。また、財政難に苦しむ政府に膨大な国庫収入をもたらした企業でもある。PT NMRもその企業の1社であった。しかし、こうした貢献に反し同国政府は進出企業に対し厳しい対応をしているとの批判を耳にする。Newmont社のインドネシア事業は、同社売り上げの6%を占め、同社が開発しているバツヒジャウ銅鉱山はアジア第2位の規模であるが、刑事訴追の動向によっては新規投資を抑制せざるを得ない状況もでてくるのではと危惧される。
(2)アジア第1位のグラスベルク銅金鉱山もまたSTPを採用している。そのため、同様の論争が将来に起こり得る可能性を有している。PT Freeport社もまた米国鉱山企業Freeport-McMoRan Copper & Goldを親会社とする。
(3)STPは、インドネシアに限らずパプア・ニューギニアのリヒール鉱山、ミシマ鉱山などでも採用されている。今後新たに開発が予定されている鉱山においても検討が進んでいる。訴訟の動向によっては当然ながらSTPの安全性の見直しが必須となる。
おわりに
インドネシア国内の環境保護グループは、PT NMR問題を同国政府が環境汚染問題で外国企業を訴追する意思があるかをテストする重要な裁判と位置付け、政府の対応を注視している。
PT NMRは刑事訴追等に対しCOWの条項に基づき、国際司法裁判所への異議申し立てを検討中である。一方、同国政府もこれに応じる構えを見せている。しかし、同国政府は地熱事業契約(COW)をめぐる米国企業Karaha Bonas Coとの国際司法訴訟において、2億9,900USドルの損害賠償支払い命令を受け敗訴した経験を有する。この事件が、COW制度の見直しに繋がったとも言われる。今回もまた皮肉にも米国企業との国の威信をかけた対立である。
現在、鉱業法改正法案が国会内で審議されているが、Buyat湾の公判が進むに連れ鉱業界がその継続を求めているCOW制度の廃止論を更に加速することは間違いなさそうである。
Buyat湾論争では、海水の水質、鉱さいの分析値を取り上げ環境汚染があったかを議論しているが、最も重要なことはステークホルダー間において環境汚染を定義し評価手法を確立することである。
例えば、排出基準は、汚染物質の濃度を一定限度以下に排出を規制する法律であると同時に、その基準値以下であれば合法性を与える基準である。有害重金属を排出することを環境汚染と定義すれば、いかなる産業活動も環境破壊にあたる。基準値以内は汚染ではないとすれば、当然汚染ではない。Buyat湾論争が関係者の努力により早期に解決されることを期待する。
参考資料
ニューモント・マイニング社アニュアルレポート(http://www.newmont.com)
PT NMR提供ニューモント・ミナハサ金鉱山メディア・キット
・Buyat Bay Information Kit
・Manado State University Research Report
・刑事訴追起訴状写し
・プレスリリース集 etc
・クロノテーブル
金属鉱業事業団海外資料第119号1996年10月:インドネシア及びパプア・ニューギニアの探鉱開発プロジェクト動向
MMAJカレントトピックス平成9年9月22日97年31号:インドネシアにおける最近の金鉱山プロジェクト(佐藤マニラ事務所長の報告)ほか