報告書&レポート
インドネシア・グラスベルグ鉱山を巡る地域住民問題の動向

1. はじめに
グラスベルグ鉱山(Freeport McMoRan Copper & Gold社:本社米国ニューオリンズ)では、2月21日に鉱山側が地元先住民による鉱山エリア内の河川における金採取を不法採掘として規制、これに対して不法採掘者約400名が鉱山へのアクセス道路を封鎖し抗議活動を行った。更に彼らは鉱山会社警備員及び警察官と衝突、この結果双方に重軽傷者を出し、鉱山側は翌22日から予防策として一時的に操業を停止すると発表した。
このニュースは、即刻世界中に報道され、折から価格高騰を続けていたLMEなどの市場関係者や同鉱山から鉱石の供給を受けている資源関係者の注目を集めた。この背景には、昨今の中国などの需要増大による世界的な需給タイト化に加え、同鉱山が銅及び金の生産において世界最大級の生産規模であるため世界の供給に与える影響が大きいことが挙げられる。このニュースによりLMEでは供給不安への懸念材料として捉えられ価格を押し上げた。
本稿では、インドネシア、パプア州及び米国などグラスベルグ鉱山を巡り発生している事象を、報道機関による記事、インドネシア政府やフリーポート社からの発表、人権団体の広報情報を基に整理しその背景を探ってみた。
2. グラスベルグ鉱山の概要
グラスベルグ鉱山は、南太平洋のニューギニア島の西半分を占めるインドネシア領パプア州の標高4,000m以上の高地にある。
ニューギニア島のインドネシア領は以前イリアンジャヤ州と称していたが、2002年からパプア州と改称した。ニューギニア島はアイスランドに次ぐ世界第2位の面積(約785千km2)を有しその西側のインドネシア領だけで約422千km2あり日本の面積(約378千km2)を上回る。
米国のフリーポートマクモーランカッパーアンドゴールド社が所有する世界最大級の金及び銅を産出する鉱山である。世界の鉱山別2005年生産実績ベースで見ると、銅は、世界2位、金は、世界1位の位置にある。
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グラスベルグ鉱山位置図
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グラスベルグ鉱山全景(フリーポート社講演資料より)
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3. グラスベルグ鉱山を巡る最近の話題
(1)インドネシア国軍幹部への資金提供疑惑
グラスベルグ鉱山の警備は鉱山が雇用する警備員のほかにインドネシア国軍に警備を依頼している。これに関連して2005年12月17日付けNew York Times紙はかなりのスペースを割きフリーポート社が軍や警察の幹部に個人的に多額の金銭を支払っており、企業としての行為が米国の法律やインドネシアの法律に違反しているのではないかとの問題を提起した。
その報道によれば、2005年ニューヨーク市年金基金は、フリーポート社の株主総会において、フリーポート社の軍や警察に対する支払い(米国企業が外国政府に賄賂を支払うこと)は海外汚職行為防止法に違反している可能性があると主張、支払いの見直しを求める議決案を提出したが、フリーポート社は決議に反対した。フリーポート社は米国証券取引委員会(SEC)に対し、2001年に470万$、2002年に560万$をインドネシア国軍に支払ったことを報告し、軍に対する支払いは認めてはいるものの詳細は明らかにしていない。
これらの点に関して、International Center for Corporate Accountabilityの所長であるS. Prakash Sethi氏は、「軍幹部への直接的な支払いは汚職であり賄賂である」と指摘。また、インドネシアの元法相もフリーポート社の軍や警察に対する金銭の支払いはインドネシア国内法に違反するという見解を示している。一方で、フリーポート社は鉱山周辺地域の治安維持はCOWに基づき国が保障すべきもので国軍が関与することは当然と主張している。
(2)鉱山周辺における環境汚染問題
従来から地元関係者は、グラスベルグ鉱山の操業に伴うズリやテーリングの処理に関しては、環境を汚染し、周辺の自然環境を破壊していると訴えていた。インドネシア環境省はこの指摘に対応して、政府の調査団を2月9日から24日までの予定で現地に派遣して調査を実施した。
現地調査は、採掘サイト、選鉱場、テーリングを排出している河川、精鉱乾燥施設など広範囲にわたった。この調査団の動静は、2月22日に発生した不法採掘者と警備側との衝突記事と共に伝えられ、本調査団は衝突の直前に鉱山を離れたことが報道された。
また、本調査団による調査結果は報告書にまとめられ、3月23日に環境省はテーリングの処分方法に問題があり、具体的には、鉱山西側の強酸性の坑廃水が排出基準をオーバー、また、排出されたテーリングが流れる河川での全浮遊物質量(TSS)が基準値を超えていたことから、酸性坑廃水の処理に関して厳しい措置を講じるよう命じた。更に鉱山に電力を供給している発電施設でのSO2排出ガスが基準値を超えていたと指摘。これらの指摘に対して会社側は、環境省とともにこれらの問題を解決すべく対応を検討する旨コメントした。一方ウィトゥラル環境相は、フリーポートインドネシア社に対しインドネシアにおける法令順守を指示し、早急に環境改善に取組まない場合、民事訴訟も辞さないと警告した。
(3)鉱山地内での先住民不法採掘規制に伴う不法採掘者側と鉱山警備側との衝突
2006年2月21日、鉱山側は、従来から鉱山周辺で同鉱山が排出するテーリングから金を採取していた地元先住民の行為を不法採掘とし鉱山地内での採取作業を規制した。これに対して不法採掘者約400名はこの規制に抗議し、鉱山に通じる道路を封鎖した。不法採掘者たちは同鉱山の警備員や警察官と衝突し、双方6名の重軽傷者が出た。これにより鉱山側は翌22日から操業を一時停止すると発表した。この状況に関し、ロイターはエネルギー鉱山相が警察に代わり軍に鉱山の治安維持に当たらせると述べたことを伝えた。
他の報道機関の解説では、会社側が不法採掘者としている先住民は、従来から鉱山周辺に居住していた先住民Amungme族ではなく、金目当てに他の地域から流入した先住民Dani族であるという。両部族は歴史的に敵対してきた。1997年にはAmungme族とDani族との抗争(死者11名)も起きている。この周辺に暮らす先住民は一日2US$程度の収入で暮らすことが出来るため、最近の金価格高騰により18US$/g以上という相場の中で一層鉱山周辺に流入者が増えた模様。
これに対しフリーポートインドネシア社は、従来からこれら先住民(約2,500名)の再定住の為『地域開発プログラム』(基金)を創設し、地域住民のための教育、医療、雇用促進等を促した。会社側は、この基金に対し1996年から1億9,400万US$を拠出、2005年だけでも4,200万US$を拠出したと発表。
2月27日の報道では、鉱山会社側は先住民側からの基金に関する配分の増額要求を受け入れ、先住民側は抗議活動を停止し、会社側は2月26日18時にグラスベルグ鉱山の操業を再開(22日から4日間の操業停止後の再開)した。
これら抗議活動はインドネシア全土で組織的に展開され、首都ジャカルタでは、2月23日、27日にフリーポートインドネシアの本社前にデモ隊が押しかけ、27日のデモでは、警察がデモ隊に催涙ガスや高圧放水銃を使用し抗議活動を中止させようとした。
(4)グラスベルグ鉱山での衝突を発端とするパプア州内での分離独立活動家と政府治安部隊との衝突
鉱山サイトで発生した争議が一段落していた3月16日、パプア州の州都のジャヤプラで数百人の学生がグラスベルグ鉱山の閉鎖を求めデモを行った。デモ隊はその後地元警察(インドネシアでは恐れられている警察機動部隊Brimobと言われている。)及び治安部隊と衝突し、警察官3名、空軍軍人1名が死亡する事態となった。
この事態を憂慮した治安部隊はデモ隊の鎮圧に乗り出し、多くの学生を逮捕(報道では、警察は70名以上を拘束、うち14名を容疑者として公表、ほか12名を捜索中と発表した。)したことから、学生側は過去の経験から厳しい弾圧が行われることを恐れ山岳部や他地方へ逃げたと言われている。
この時期、インドネシア国内では、金属価格高騰による海外鉱山企業が高収益をあげる中、生産国である地元への利益還元が少ないことに対する不満が高じて、ニューモント社に対するデモも発生し3月19日、スンバワ島で数百人の地元住民がキャンプを襲撃、社宅に放火したと報道された。
今回のパプア州ジャヤプラでのデモの背景には、インドネシアにおけるインドネシア政府とパプア州の先住民との長年にわたる分離独立闘争が背景にある。一部専門家は、ジャヤプラでの衝突は、分離独立派がグラスベルグ鉱山での衝突を格好の標的にしたものとの見方を示しており、この事態がパプア州における分離独立紛争へ発展することへの懸念も表明した。
3月17日ユドヨノ大統領はフリーポート社の経営に関する調査を命じた。調査では、フリーポートインドネシア社が先住民に対して利益還元を行っていないとの申し立てを受け、税、ロイヤルティ支払い、更に地域開発プログラム(基金)から地元住民に対する配分まで調査することとしている。
その一方で、ユドヨノ大統領は、海外の投資家の懸念を払拭するために、グラスベルグ鉱山は閉鎖させないとコメントしている。
(5)パプア州分離独立活動家の豪州亡命に係るビザ発給による豪政府とインドネシア政府との関係悪化
2006年1月にパプア州での分離独立運動を行っていたパプア州の先住民46名が弾圧を恐れ、ボートで豪州に避難し、インドネシア政府のパプア州における人権侵害を訴え、政治亡命を求めていたところ、今般、豪州政府がこれを認め、一時保護ビザを発給した。これに対しインドネシア政府は避難民の引渡しを求めたが豪州政府がこれに応じず、インドネシア政府はパプア州の分離独立活動を煽動する行為として豪州政府の措置に抗議し、在豪州大使をインドネシア本国に召還した。インドネシア政府は、パプア州が東チモールで起きた分離独立闘争のようになることを恐れているとの見方がある。この影響で、インドネシア国内では、インドネシア全国輸入連合会が豪州製品の輸入をボイコットするとの方針を決めたとの報道もあった。
(6)グラスベルグ鉱山に於ける地すべり事故
3月23日午前1時ごろ、グラスベルグ鉱山で地すべりが発生、従業員3名が死亡、4名が負傷したと発表した。地すべりは、鉱山の上部にある山の尾根から土砂が滑り落ち、鉱山の食堂やサービス部門の施設を直撃した。この災害は鉱山の構内ではあったが、被災箇所が採掘現場ではなかったため、鉱山の操業には影響していない。
この事故に関しては、その後鉱山側と所管のエネルギー鉱物資源省と協力して事故の原因を調査していると会社側が公表している。
グラスベルグ鉱山では過去にも2000年、2003年大規模な地すべり事故が発生しており、2003年の10月及び12月露天採掘のピットで発生した地すべりでは3か月にわたり操業が停止し、同鉱山からの精鉱を輸入していた我が国製錬所にも大きな影響が出た。
今回の地すべり事件の報道に接して、市場関者や製錬所の関係者には2003年の事故による一連の影響の記憶が蘇ったとの話もあり、本件ニュースが伝わったLMEでは不安材料として注目を浴び銅相場価格が120US$上げて5,200US$/tを突破した。
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地すべりの状況写真(フリーポート社説明資料から)
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4. 先住民との衝突の裏に抱えるパプア州の独立問題
(1) パプアニューギニアの統治の歴史
Ⅰ | 19世紀の欧米諸国の植民地政策により、パプアニューギニアの西半分はオランダ、東半分はドイツとイギリスが進出。 |
Ⅱ | 第2次世界大戦後、オランダの植民地はインドネシアとして独立するも、これを定めたハーグ協定には、ニューギニア領は対象から除外。帰属は後日協議とした。 |
Ⅲ | スカルノ大統領時代、オランダから行政権の委譲を受け、1969年インドネシアの第26番目の州として併合。因みに東半分は豪州の信託統治領であったが、1975年にパプアニューギニア国として独立。 |
Ⅳ | 島民の大半は、メラネシア系のパプア先住民であったが、インドネシア政府がマレー系住民の移住を促進させた。スハルト政権崩壊後、パプア先住民たちは民族意識の高まりの中、インドネシアからの分離独立を要求する活動が次第に活発化してきた。 |
(2) 2000年以降の動向
Ⅰ | 2001年11月独立運動指導者テイステルアイ『パプア評議会』議長誘拐・殺害事件が発生。インドネシア政府調査委員会の調査の結果、陸軍特殊部隊関係者による事件への関与の疑いを示唆。 |
Ⅱ | 2002年8月ティミカ(グラスベルグ鉱山の山元にある中心的街)においてフリーポート社の敷地内で米国人牧師2名を含む10名以上が死傷する襲撃事件が発生。調査の結果軍関係者の関与が疑われたが、パプア独立運動家によるものとして処理された。 |
Ⅲ | 2003年8月パプア州の分割を巡り住民同士の抗争が発生。 |
分離独立問題の背景に関しては、一部専門家は、民族的にインドネシアの国民の多くを占めるマレー系とパプア州に住むメラネシア系先住民との相違が根底にあり、更に、インドネシア独立やパプア州のインドネシア領への併合の過程においてパプア州先住民が実質的に参画できなかったことなどを指摘している。
5. 今後の見通し
フリーポートインドネシア社は、環境汚染問題や地すべり事故に関してはそれぞれ政府所管省庁と協力し対応中とその経過を述べている。グラスベルグ鉱山の操業は諸般の事故や事件に影響されることなく継続されている状況である。
米国フリーポート社社長であるRichard C. Adkerson氏は、4月6日サンチャゴで開催されたCRU主催第5回世界銅会議に出席、インタビューに答え、グラスベルグ鉱山の操業には自信を持っていると語った。
今回の一連の動向の背景として着目すべき点は、パプア州における先住民のインドネシアからの分離独立を求める運動の行方である。インドネシア政府は、パプア州の分離独立問題に関しては、アチェ州や東チモールで起きた分離独立闘争のこともありその対応に神経を使っている。
グラスベルグ鉱山は銅や金の主要サプライヤーとして世界の需給に与える影響が大きく、今後とも同鉱山を巡る動向に関しては、鉱山に関係する政府、企業、先住民の動向も含めに注目しておく必要があろう。

