報告書&レポート
カナダTeck 社、環境関連訴訟でカナダと米国の裁判権論争の狭間に立つ
この問題は、2003年3月にEPA:米国環境保護庁(Environmental Protection Agency:以下、”米国EPA”)がTeckのTrail製錬所からの排水が、カナダ・米国にまたがるColumbia河上流部の環境汚染について因果関係を認め、米国のCERCLA※1)の救済措置適用が可能となるNational Priority List(連邦優先リスト)掲載に該当すると判断したことに端を発したもの。本報告では、次の3点について各裁判所の判決等を中心に経過を追って要点を整理した。
※1)CERCLA…米国で1978年に起きた“ラブキャナル事件”を契機に制定されたComprehensive Environmental Response, Compensation, and Liability Act(1980年制定)の略。 通常Superfund法と呼ばれ、「包括的環境対策・補償・責任法」と訳されている。CERCLAは1986年に「”スーパーファンド修正及び再授権法(SARA:1986年制定)”」により大幅に改正された。 当該法律のしくみは、汚染の調査や浄化は米国環境庁が行い、汚染責任者を特定するまでの間、浄化費用などは石油税などで創設した信託基金(スーパーファンド)から支出する仕組みとなっている。 |
1. 概要
1-1 Trail製錬所について
19世紀末から20世紀の初頭にかけて、当時のゴールドラッシュに沸いた金山町の一つとして栄えたカナダBC州南端に位置するTrail市で、複数の鉱山会社が合併してConsolidated Mining & Smelting社を設立した。これは、後にカナダを代表する鉱山会社となるCominco社(Teck Cominco社を経て現在はTeck社、以下、文中においては原則“Teck”と記載)の始まりであった。第一次世界大戦を経て亜鉛精鉱鉱石の処理に成功したことを受け飛躍的な成長を遂げたTrail製錬所は、Trail市やその周辺地域の経済の中心的存在となった。その後も順調に拡張を重ね、現在では世界最大規模の亜鉛・鉛製錬所の一つとされ、他にも金、銀、インジウム、ゲルマニウム、ビスマスや硫酸銅・ヒ酸銅などの銅製品、そして硫酸肥料、二酸化硫黄液、硫黄など多量の硫黄製品を含む18種類の製品を生産するに至っている。この製錬所における亜鉛及び鉛の精鉱供給元は、米州全域であり、そのほとんどは米国AK州のRed Dog鉱山からのものである。また、Trail製錬所は、米国との国境に接しカナダ・米国にまたがるColumbia河とも隣接していることから、居住区等にも近く、地元の環境保全には常に細心の注意を払って操業されており、大気や水質のモニタリングはじめ、警告装置等の環境マネージメントシステムの充実等のために1977~1997年間に10億US$を投資して製錬所の近代化が図られた。更に、現在も日々進化する新技術の導入に伴う設備向上を継続して行うことで、万一不測の事態が発生した場合でも、被害を最小限に食い止められるよう配慮されている。
また、地元コミュニティとも様々なレベルでの交流を深めている。なお、Trail製錬所の2008年次報告書によると主力製品である亜鉛地金の年産量は270千t、販売量266千t、売上高は1,442百万C$、営業損益は減価償却前ベースで208百万C$の利益となっている。
図1.カナダBC州Trail市と加・米2か国に跨るColumbia河及びその周辺図
1-2. Trail製錬所を巡る環境汚染問題について
Trail製錬所を巡る環境汚染問題の歴史は古く、1920年代にまで遡る。当時、鉛・亜鉛製錬所として操業していたが、製錬所から排出された亜硫酸ガスがColumbia河の渓谷に沿って米国WA州の農作物や森林に被害を与えたとして、米国がカナダに対して1932年1月1日までの損害賠償額として35万US$を請求したのが事件の最初である。更に米国は、1932年1月1日~1937年1月1日間の森林に対する損害(賠償額7.8万US$)をカナダに認めさせ、仲裁裁定を経て1941年に最終判決が出されたことで大気汚染問題は終息した。
ところが60年以上経た2003年3月、米国EPAは、1980年のカナダBC州環境省(Ministry of Environment)が作成した記録レポートを基に調査を行っていたTeck Cominco Metals社(当時)の環境汚染についての調査が完了したと発表した。その中でカナダBC州と米国WA州にまたがるColumbia河上流部の環境汚染を認め、米国のCERCLAによる救済措置適用が可能となるNational Priority List(連邦優先リスト)掲載に該当すると判断したことが、現在、カナダ及び米国にまたがる環境関連訴訟における裁判権論争の発端となり、現在も両国の裁判所で係争中(2009年7月末現時点)である。
2. 裁判の経緯
2-1. 米国EPAの行政命令とTeckの対応
2003年3月、米国EPAは、調査の結果、Columbia河上流部がCERCLAの救済措置適用が可能となる連邦優先リスト(National Priority List)掲載に該当すると判断したことから、Teckとの間で交渉を重ねたが、同年12月交渉が決裂した。米国EPAはTeckに対し、汚染流域における環境改善のための行政命令として、一方的に汚染回復実行可能性調査命令(Unilateral Administrative Order for Remedial Investigation、以下”UAO”)を発した。Teckはその命令に従わなかったが、EPAは命令の強制執行を求めなかったことから、各所で以下の訴訟が提起された。約2年半後の2006年6月、Teckは米国EPAとの和解で、Teckが20百万US$の調査費を支払うことを条件に米国EPAが行政命令としてのUAO取下げに合意した。
2-2. 米国WA州の先住民との係争
米国WA州の先住民との係争は、上記、2.2-1の米国EPAの行政命令(UAO)を発端として、2004年7月、先住民代表が米国WA州東部地方裁判所において、CERCLAに基づく市民訴訟として提訴した。米国WA州も訴状提出後に原告として参加し、Teckに対して、[1]UAO違反の確認、[2]差止命令による救済(UAOの強制執行及びこれ以外にTeckのUAO及びCERCLA違反を是正するために必要な行為を履行させること)、[3]UAO違反に対する民事上の罰金及び訴訟費用の支払い、を求めた。
これに対してTeckは、同社がカナダ法人であることとカナダにおける行為(製錬事業)に対してCERCLAの適用は不当として、原告の訴えを棄却するよう反訴した。これには、カナダ連邦政府、BC州政府、カナダ商工会議所、US商工会議所の支持もあり、裁判ではなく外交的手段で解決すべきとの主張がなされた。
2004年11月、米国WA州東部地方裁判所は、『CERCLAは米国国内で発生した汚染について適用されるものであり、国外適用がない』と解釈すると米国国内において好ましくない影響が発生する可能性があるため、国外適用されることも可能として、Teckの申立てを退けた。
2005年12月、Teckは、この米国WA州東部地方裁判所による判決を不服として米国連邦控訴裁判所第9巡回裁判所へ控訴した。
2006年6月、この市民訴訟の根拠となっているUAOに対して、上述のとおりTeckは米国EPAと和解し、EPAがUAOの取下げに合意した。しかしながら、先住民とWA州はこの和解の当事者でないことからUAOに関する以外のTeckの民事責任(罰金、訴訟費用及び弁護士費用の支払い)についての訴訟は継続された。
2006年7月、米国連邦控訴裁判所はTeckが2005年12月に申し立てていた控訴を棄却。判決要旨は、次のとおり米国WA州東部地方裁判所の判決を支持したものであった。
[1]TeckのCERCLAを国外適用すべきではないという主張に対しては、CERCLAに基づく責任は危険物の流出(すなわち汚染の発生)、又は流出の可能性により発生するものであり、本件において危険物の流出は米国内で発生したものであるため(汚染源が国外で廃棄されたとしても)CERCLAが国内適用される。 | |
[2]EPAの『Teckが危険物の廃棄を手配した者として責任を有す』とする判断に対するTeckの『危険物を自ら廃棄したものであり、廃棄の手配者ではなく、よってその責任を有しない』とする主張に対しては、各種判例も勘案の上、当該主張はCERCLAの趣旨に反するので認められない。 |
Teckは直ちに米国連邦控訴裁判所に再審査を請求したが、同裁判所は2006年10月、Teckの再審査の申立を却下した。2006年11月、更にTeckは米国最高裁判所へ上告。2008年1月、米国最高裁判所はこれを退け、本件の米国WA州東部地方裁判所での審査継続を認めた。このことでWA州先住民の民事責任追及が可能となった。彼等は、TeckのUAO違反に対する民事上の罰金、訴訟費用及び弁護士費用の支払いを求めたが、2008年9月、WA州東部地方裁判所はこれを却下した。WA州先住民及びWA州はこの判決を不服とし、同月、米国連邦控訴裁判所へ控訴。以降、現在まで係争中(2009年7月末現在時点)である。
2-3. カナダ保険会社との係争
Teckは、米国EPAによるColumbia河上流部の汚染問題の解決を求められたことに対し保険請求を行ったが、保険会社からは請求事由として、汚染の発生がカナダ国内ではないので保険の対象外として保険の支払いを拒否された。
2005年11月、Teckは、当該汚染問題の保険補償を求め米国WA州上級裁判所において保険会社を提訴した。その9時間後、保険会社は、『TeckはカナダBC州の企業であり、かつBC州のブローカーを通じて保険契約がなされたものであるので、保険契約の解釈はBC州法によりなされるべき』として、カナダBC州において反訴した。この反訴を受けたTeckは、直ちに米国WA州上級裁判所に対し、保険会社がカナダBC州の裁判所において訴訟を行うことを禁止する差し止め命令を求めた。その後、裁判の所管は米国WA州上級裁判所から米国WA州東部地方裁判所へ移管された。
2006年5月、米国WA州東部地方裁判所は、保険会社の主張を退け(すなわちTeckの主張を認めた)、自身の管轄権を認め、審査継続を決定。この判決を下にTeckは、既に同一事件での訴訟が進められている米国WA州東部地方裁判所の管轄に服すべきという不便宜法廷地の原則(Forum Non Conveniences)を主張し、カナダBC州最高裁判所に対して、保険会社の補償責任に関する同裁判所での訴訟手続の停止を求めた。
2006年8月、BC州最高裁判所は、Teck社の申し立てを却下した。保険会社のカナダBC州における訴訟と米国WA州での訴訟継続を認めるとともに、Teckに対しては、米国WA州において自社に有利な判決を求めるための法廷地ショッピング(Forum Shopping)だとその行為を非難した。Teckは、BC州最高裁判所の判決を不服として、直ちにBC州控訴裁判所に控訴した。
2007年4月、BC州控訴裁判所は、他の裁判所が管轄権を主張していることによってその管轄権を認める“単なる服従の原則(Simple Rule of Deference)”の適用を拒否した。Teckの主張を却下し、BC州裁判所の管轄権を認めた。Teckはこれを不服とし、カナダ連邦最高裁判所への上訴許可を求め、2007年11月に上訴が認められた。
2008年11月、Teckは、カナダの裁判権否定を求めてカナダ連邦最高裁判所へ上告した。
2009年2月、カナダ連邦最高裁判所は、「カナダの裁判所が、米国裁判所と同時に裁判の管轄権を有することが必要か否かを判断するにあたり、単に米国裁判所が先に裁判の管轄権を認めたということは重要な要素ではあるが、決定的な要素ではない。不便宜法廷地(Forum Non Convenience)の原則を適用して裁判の管轄権を否定するには他にも考慮すべき要素があり、カナダ裁判所はこうした全ての要素を基に判断を下していることから、その判断に誤りはない。Teckの主張を認めることは、当事者が自らにとって最も有利と判断する管轄地で訴訟手続きを競って開始するという先願主義(First-to-File System)を助長することとなる」としてTeckが上告により主張していた、“保険会社によるBC州での訴訟手続き停止請求”を退けた。
2-4. 米国・カナダ両国にまたがる環境汚染に係る法律の国外適用と両国司法権の対立
(1) カナダ国内で廃棄された環境汚染物質による汚染に対する米国法の適用についての米国司法当局の判断
前述のとおり、先住民とWA州による米国での訴訟においては、米国の環境に関する法律“CERCLA”が国外適用されるか否かという点が争点の一つであった。米国裁判所の立場は、「本件は、CERCLAが国外適用されるというものではなく、危険物の環境への流出(release)またはその可能性が米国国内で発生(源の廃棄場所がカナダに位置するとしても、汚染物が米国内のColumbia河に存在)したものであるため、CERCLAが国内適用されるケースである。また、このCERCLAは環境汚染者の行為を取り締まるものではなく、発生した汚染により汚染された地域の清浄化を求めるものであるため、本件においても、カナダ国内に立地する製錬所での行為を取り締まるものではなく、CERCLAが国外適用されるか否かという問題を考慮する必要はない」というもので、汚染が米国内で発生した以上、汚染物質がどこで廃棄されたか否かに拘わらず、米国の環境法が適用されるということを示唆するものである。
(2)カナダ、米国司法当局による裁判の管轄権についての判断
Teckと保険会社との上記環境汚染による損害を補填する保険金支払いに関し、Teckと保険会社はそれぞれ自己に有利な法廷地での裁判を求め、Teckは米国WA州で、保険会社はカナダBC州で訴訟を提起した。同一の訴訟目的物に対し、二国間で同時に訴訟が提起された場合の裁判管轄を米国、カナダの裁判所がどう判断するかが注目されたケースである。
その経緯は、前記2-3で解説したとおりであるが、結論としては、米国、カナダ両国の裁判所が自らの管轄権を認め、同一の訴訟が二国で争われることとなった。
以上のことから、両国における訴訟において、双方の司法当局がその管轄権を認めた本件における主要争点は、司法当局を訴えたものではない同一事件について、最初に管轄権を認めた米国裁判所への裁判権を自動的に付与すべきか否かの判断であり、このことは、国境をまたいで事業が展開される可能性の多々ある鉱業界にとって今後の鉱山経営方針等の行方に影響が大きいことから注目されていたが、今回のカナダ連邦最高裁判所の判決は鉱業関係者にとって厳しい結果になったと言えよう。
3. 今後の行方
本稿で整理してきた3つの係争のうち、『米国EPAの行政命令とTeckの対応』は、Teckが調査費を支払うことで米国EPAとは決着済である。また、『米国WA州先住民及びWA州とTeckの係争(市民訴訟)』については、現在も米国の裁判所において係争中であるが、保険補償裁判の行方次第では、Teckはこの裁判について収束を図ることも念頭に置いている模様。そして、本稿のポイントである『Teckとカナダの保険会社の保険補償に関する係争』において、カナダと米国どちらの国の裁判所が本件裁判への管轄権を持つべきかという判断は、国家の威信にかかわる問題であるため、今後も紆余曲折が予想される。
また、環境に関する係争で長期かつ裁判関係者が複雑に絡み合い、当事者それぞれが訴訟を有利に運びたい等の思惑が交錯していることが、問題解決への道程を更に難しくしているものと見られる。
いずれにせよ、この裁判における環境改善等を行う当事者はTeckであり、現在、同社は、両国裁判所及び裁判関係者などに対して調停による解決への道なども含めたあらゆる問題解決策を模索している模様であり、その一環として、2009年Q2の業績発表(2009年7月22日付)の中で、Columbia河の浄化措置を講ずることを発表するなど、引き続き今後の展開に目が離せない状況が続いている。