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報告書&レポート

2014年7月10日 ボツワナ・地質リモートセンシングセンター前所長 久保田博志、金属資源調査課 小嶋吉広
2014年27号

コンゴ民主共和国Gecamines社の事業内容について- 南部アフリカ諸国の国営鉱山会社に係る分析報告(4) --

 2000 年代に入り、中国・インドなどの新興国における資源需要の急激な増加、鉱物資源価格の上昇に伴い、資源国、特に新興国や発展途上国を中心に資源ナショナリズム的な傾向が強くなってきた。その代表的なものに政府が直接、鉱山開発・操業に関わる鉱山公社がある。南部アフリカ地域においてもその傾向は顕著となっている。

 本稿では、独立後の1970 年代に鉱山を国有化、今日まで国営・国有企業として操業を続けるコンゴ民主共和国(以下「DRコンゴ」)のGecamines(Generale des Carrieres et des Mines)の企業戦略等について報告する。

はじめに

 資源ナショナリズム的な政策の代表的なものに政府が直接、鉱山開発・操業に関わる鉱山公社(State Mining Company)がある。南部アフリカ地域においても、ザンビア共和国のZCCM Investment Holdings Plc:ZCCM-IH(銅、コバルト等)、ナミビア共和国のEpangelo Mining Company Ltd(戦略的鉱物:ウラン、銅、金、亜鉛、石炭等)、南アフリカ共和国のAEMFC; African Exploration Mining Finance Corp(石炭等)、モザンビーク共和国のMozambique Mining Exploration Company(ベースメタル等)などがある。これら鉱山公社が目指すものは、鉱業から得られる利益を自国経済発展に最大限に利用しようというものだが、その方法は各国それぞれ異なっている。

 本稿では、これら鉱山公社のなかで、独立後の1970 年代に鉱山を国有化、今日まで国営・国有企業として操業を続けるDRコンゴの政府系企業Gecamines(Generale des Carrieres et des Mines)の設立の経緯、企業戦略等について報告する。

図1 南部アフリカ諸国の主な政府系鉱山会社
図1 南部アフリカ諸国の主な政府系鉱山会社

1. Gecaminesの設立の背景と経緯

1-1. 独立前
 Gecaminesの前身は、DRコンゴがベルギー国王の私有地であった1906 年にUnion Minere du Haut Katanga(UMHK)として設立された。同社は植民地経営の収入源として重要な位置を占めていた。私有地は1908 年にベルギー領となるが、同社は、1960 年の独立をまたぎ、1967 年のGecomin(Generale Congolaise des Minerals)設立まで経営を続けた(表1参照)

1-2. ザイール化政策とGecaminesの誕生
 1960 年、DRコンゴはベルギーからコンゴ共和国として独立したが、大企業等の主要な経済主体は独立後もベルギー等の外国人が支配し続けたため、国民への富の分配が十分に進まなかった。1965 年にクーデターにより政権を掌握したMobutu大統領は、鉱物資源の国有化を表明し、UMHKから改組したGecomin(Generale Congolaise des Minerals)に鉱物資源の管理を一元化させた。1971 年、Mobutu大統領は「ザイール化政策」(Zairinization)を掲げ、国名をザイールに変更するとともに、鉱業だけでなく国内主要産業の国有化を急激に推し進め、白人入植者の国外追放等の急進的施策を通じ国民のナショナリズムを煽った1

 1972年、大統領令によりGecominをGecamines(Generale des Carrieres et des Mines)に改組し、ザイール化政策推進の中核機関として位置づけた。1970 年代~80 年代初頭にかけてのDRコンゴ経済において鉱業は重要な外貨獲得源であり、輸出収入の8 割、歳入の5 割、GDPの13~23%を占めていた。

 70 年代前半まではGDPは増加し、ザイール化政策は成功したかに見えたが、75年の銅価下落を契機にGDPは下降し始め、特に一人当たりGDPは人口増加も作用し、75 年以降急降下を辿った(図2参照)2

図2 DRコンゴにおけるGDPと一人当たりGDPの推移

(出典:世銀資料)

図2 DRコンゴにおけるGDPと一人当たりGDPの推移

1-3. 経営不振
 銅とコバルトの生産量は1980 年代に入っても堅調に推移し、銅については年産470千t程度の水準を維持し、コバルトについては1985 年に24千tにまで増大した(図3、図4参照)。銅の生産量は1986 年に476千tにまで拡大したが、その後、探鉱予算削減による鉱量減少、設備投資削減による生産設備老朽化が生産量の急激な減少を生じさせ、1990 年代にかけ生産量は縮小の一途を辿った。

図3 銅鉱石生産量と銅価格推移
(出典:各種資料を基にJOGMEC作成)
図3 銅鉱石生産量と銅価格推移
図4 コバルト鉱石生産量とコバルト価格推移
(出典:各種資料を基にJOGMEC作成)
図4 コバルト鉱石生産量とコバルト価格推移

 図5は1988 年を100 とした銅、コバルト、亜鉛生産量の変化と、輸出収入に占めるGecaminesによる収入の割合の推移を示している。1988 年の銅生産量は468千tであったが、1994 年には33.6千tにまで落ち込み、わずか6 年間で生産量は1 /10 以下に急減した。コバルトについては、主力鉱山のKamoto銅鉱山からのバイプロ生産が、1990 年の崩落事故により操業休止となったことから、91 年以降急速に生産量を減少させ、皮肉にも91 ~92 年のコバルト価格上昇の恩恵を享受することが出来ず、生産量減少の一途を辿ることとなった。

図5 Gecaminesの銅、コバルト、亜鉛生産量(1988年を100(左軸))と輸出収入に占めるGecaminesによる収入の割合推移(右軸)
(出典:「Democratic Republic of Congo, A Study of binding constraints」
J.F.K School of Government)
図5 Gecaminesの銅、コバルト、亜鉛生産量(1988年を100(左軸))と輸出収入に占めるGecaminesによる収入の割合推移(右軸)

1-4. 国営企業から国有企業へ
 2002 年、DRコンゴは、世銀のアドバイスの下で鉱業法を改正し、Gecaminesとの合弁事業(JV)を通じた民間企業主導による鉱山開発に方針転換をした。その結果、2004 年以降、生産量は徐々に回復し、2007 年以降はTenke Fungurume鉱山やKamoto鉱山等の有力鉱山の生産拡大に牽引され、生産量は急速に拡大している。

 DRコンゴ政府は、Gecaminesの自立性確保を図るため、2010 年12 月に、同社を政府が直接経営に関与する国営企業から、政府は同社の株式を保有するだけで同社の経営には直接かかわらない国有企業に変更した。

表1.Gecaminesの設立経緯

時期 出来事
1884年 現在のDRコンゴを含む地域一帯をコンゴ自由国としてレオポルド2世の私有地となる(ベルリン会議)
1906年 Union Minere du Haut Katanga(UMHK)設立(Royal Decreee)
1908年 ベルギー領
1960年6月30日 コンゴ民主共和国としてベルギーから独立
1960~1963年 コンゴ動乱
1965年 無血クーデター(モブツ大統領就任)
1967年 Gecomin(Generale Congolaise des Minerals)設立(大統領令)
1967~1968年 日本企業調査団派遣
1967年12月18日 鉱業協定調印、ムソシにおいて探鉱開始
1968年4月 日本側、本事業推進のための企業設立3
1968年7月 現地法人設立4(日本側85%、ザイール政府15%)
1969年4月
~1972 年9月
ムソシ鉱山開発
1970年 Gecominesとなる
1971年 ザイール共和国に国名変更
1972年 国営企業Gecamines(Generale des Carrieres et des Mines) 設立(大統領令)
1972年10月 ムソシ鉱山生産開始
1976年5月 精鉱運搬ルートはベイラルートが封じられ、イースト・ロンドンに変更を余儀なくされ、輸送コストが倍増
1978年 キンセンダ鉱山生産開始
1980年 キンセンダ鉱山増産
1983年 ムソシ鉱山操業から撤退
1984年 Gecamines Holding設立
(Gecamines Exploration, Gecamines Commercial, Gecamines Developmentの統合)
1990年 複数政党制導入
1991年 キンシャサ市内暴動
1995年 Gecamines HoldingからGecaminesに体制を元に戻す
1996年 第一次コンゴ紛争(東部で武力蜂起、コンゴ民主解放勢力同盟結成)
1997年 ローラン・デジレ・カビラ統領就任(モブツ大統領失脚)、
コンゴ民主共和国に国名変更
1998年 第二次コンゴ紛争
1999年 国連平和維持部隊派遣
2001年 ローラン・デジレ・カビラ大統領暗殺、ジョセフ・カビラ大統領就任
2002年 プレトリア包括合意
2003年 暫定政権成立
2005年 大統領選挙、国民議会選挙、カビラ大統領就任
2006年 ゴマ和平合意
2010年 Gecamines 、国営企業から国有企業へ体制変更
2011年 大統領・国民会議選挙(カビラ大統領再選)

2. Gecaminesの概要

2-1. Gecaminesの事業目的と達成目標
 Gecaminesはミッションとして「Turn the Company back into a world class player(再び世界クラスの企業となること)」を掲げ、以下の4 分野を中核事業に据えている。

 1. 鉱物資源探査
 2. 鉱物資源の選鉱・製錬
 3. 処理・未処理の鉱物資源及び最終生産物の販売
 4. 持株会社機能

 上記ミッションの実現に向け、Gecaminesは今計画期間(2012 ~2016 年)に取り組むべき項目として、生産量拡大の他、以下6 つの行動計画を設定している(予算額は当期間中の額)。

 (1) 地質調査・探査の再開

鉱山の通常の生産を確保するために探査を実施。
探査予算:72百万US$(地質調査、ボーリング調査、輸送手段調査等)
鉱山開発予算:141百万US$

 (2) 鉱山施設の修復・近代化への投資

予算:331百万US$

 (3) 高付加価値化に向けた経営多角化

石灰石・セメント材料や銅線部門など非鉱山部門の収益強化を目指す。
予算:100百万US$

 (4) 合弁事業(JV)の経営管理の見直し

Gecaminas社は2012 年現在、29 件の合弁事業(うち鉱山関係は23 件)、2 件のリース事業に投資。合弁事業29 件のうち生産中のプロジェクト(8 件)については生産拡大/安定化に取り組み、未生産プロジェクト(21 件)については早期の生産移行を目指す。

 (5) 債務整理

Gecaminesが抱える負債額は1,523百万US$であったが、2012 年時点では962百万US$に削減された。また適切な負債管理を行うため、国際的な法律事務所及び金融機関をコンサルタントに任命している。

 (6) 人員整理、若年層の積極的雇用、職業訓練の実施

Gecaminesには現在約9,600 名の余剰人員が存在。同社は社会に与える影響を考慮しつつ、人員削減と若年層の雇用を進め、加えて職業訓練も提供していく。

 銅生産量に関しては、Gecaminesは2015 年に100,000 tまで引き上げることを目標に掲げているが(図6参照)、2013 年の生産量実績は40,616 tとなり、生産量拡大のスピードは近年やや減速傾向にある(図7参照)。2014 年は60,000 tの銅生産を予定している。

図6 Gecaminesの銅生産計画(権益相当分)

(出典:Gecamines資料)

図6 Gecaminesの銅生産計画(権益相当分)

銅鉱石生産量
銅鉱石生産量
コバルト鉱石生産量
コバルト鉱石生産量
亜鉛鉱石生産量
亜鉛鉱石生産量

(出典:Gecaminesホームページ)

図7 Gecaminesの生産量(権益相当分)

2-2. Gecaminesの主要プロジェクト
 Gecaminesの主要プロジェクトを表2に示す。これまではマイナーシェアでの参画が主であったが、最近では積極的な権益取得を進めており、例えば現在探鉱中のMutoshiプロジェクトに関しては、権益100%とする方向でMMG社と現在協議中である。さらには国内だけでなく海外での権益取得にも着手しており、Tenke Fungurume鉱山の共同出資者であるFreeport-McMoRan、Lundin社と共にフィンランドのKokkalaコバルト製錬所を435百万US$で買収し、同製錬所の権益20%を取得している。

 主要プロジェクトのうち特にEcaille C とDeziwa探鉱プロジェクトが最重要プロジェクトに位置づけられている。両プロジェクトの権益は、2012 年にCopperbelt Minerals社(英領バージン諸島)より取得し、現在はGecaminesの100%権益となっている。Gecaminesは現在、Deziwaプロジェクトの開発に向けた資金調達(800百万US$)に取り組んでおり、2014 年4 月の報道ではイスラエル人富豪Dan Gertler氏が196百万US$の融資に合意した模様である。GecaminesはこれまでもGertler氏と権益売却の取引を行ってきており、特にKolweziプロジェクトの権益売却に当たっては、売却金額が過小評価されたためDRコンゴ政府/国民にとって622.25百万USの逸失利益が発生したとAfrica Progress Panes(議長:アナン前国連事務総長)やNGOが指摘している。

 またGecaminesは2013 年10 月、Deziwaプロジェクトの開発資金等を捻出するため、Kamoto JV鉱山の権益25%をGertler氏保有の会社(Fleurette Group)へ売却する準備を進めていた。しかしながら本件売却に際し必要な鉱山省への事前通知がなされておらず、また売却手続きに透明性が確保されていなかったため、鉱山省は売却の中止を強く要求し、2014 年6 月、Gecaminesは売却を断念した。

表2 Gecaminesが参画する主要プロジェクト

(出典:各種資料を基にJOGMEC作成)
(出典:各種資料を基にJOGMEC作成)

3. 今後の課題

3-1. 電力不足問題
 DRコンゴでは電力の98%を水力発電で賄っているが、内戦により電力インフラの整備が十分に行われなかったため、電化率はアフリカで最も低く(6%)、発電所建設や送電網整備が喫緊の課題となっている。DRコンゴ政府は銅精鉱、コバルト精鉱の輸出禁止措置を2014 年1 月より実施する予定であったが、電力不足により実施を2015 年1 月に延期している。

 2014 年1 月10 日、Ponyo首相は電力合理化プログラムを発表し、国営電力会社SNELに対し、国内の鉱山会社との新たな電力供給契約締結を見合わせるよう指示した。これにより、国内で増産や拡張を予定している鉱山会社は、追加で必要となる電力を自家発電で手当てせざるを得ず、コスト増や増産計画の見直しを迫られることとなった。Katanga州では、鉱山事業者の電力需要は900 MWであるが、供給はその約半分の461.7 MWとなっている。不足分のうち100 MWはザンビア電力公社(ZESCO)から、50 MWは同じくザンビアのCopperbelt Energy社より輸入している。

 電力不足に対応するためGecaminesは、500 MW規模の石炭火力発電所建設に向けたF/S調査を実施していることを2014 年2 月に発表した。 F/S調査は2014 年9 月には終了させ、2014 年中又は2015 年前半の建設開始、2017 年の供用開始を予定している。建設費は28億US$が見込まれ、資金調達に向けた協議を複数の金融機関と行っていることも明らかにしている。

3-2. 鉱業法改正
 DRコンゴ政府は現在、2002 年に制定した鉱業法の改正を検討しており、政府、企業、地域コミュニティ等の関係者間で協議を行っているところである。改正のポイントは以下3 点であるが、(1)の政府権益引き上げについては、プロジェクトに対する政府やGecaminesの関与増大に繋がるおそれがある。

(1) 政府の権益取得比率の引き上げ

政府の権益取得比率は現行法では5%であるが、改正草案によれば35%への引き上げが検討されている。政府による権益取得は無償で行われ、その後、増資等によるダイリューション(希釈化)の影響を受けない点は、現行法も改正法も同じである。改正案ではさらに、採掘ライセンス期間は25 年に短縮され、更新は1 回につき15 年、更新ごとに権益5%を政府へ譲渡する内容となっている。

(2) 安定化条項期間の短縮

課税要件を操業開始時のものに固定する安定化条項の期間は、現行法では10 年であるがこれを3 年に短縮する方向で検討されている。安定化条項は米や豪州等の先進国の鉱業法ではあまり見かけないが、途上国の鉱業法では一般的に採用され、期間は10 年とするケースが多い。

(3) 競争入札制度の導入

政府が鉱区を競争入札に付した際、プロジェクト価値の1%に相当する額を落札した鉱山会社が支払うことが改正案では検討されている。これは、石油の入札でのサインボーナスの考え方と似ているが、政府はどのような鉱区を競争入札に付する方針なのか現在のところ明らかになっていない。

おわりに

 Gecamines社は、独立後から今日に至るまで存在するアフリカ最古の政府系鉱山会社の一つである。国有化、銅価格下落の影響を受け長年にわたり経営不振に陥っていたが、近年は外資との合弁事業の少数権益者として鉱山案件に関与してきた。

 2010 年に国営企業から国有企業となって、「民間企業」と同様の立場におかれ、新たな経営戦略を構築するに当たり、経営不振の問題を分析したうえで、事業目標を設定し、その目標達成のためのアクションプランを明確にするなど民間企業としての新たな動きがみられる。他方、政府からの自立性向上と裁量拡大に伴い、事業運営に係る透明性向上が最近の課題として浮かび上がっており、特に権益等の資産売却に当たっては公共性/公益性の観点から相応の説明責任を全うする必要がある。また今後、鉱業法改正によって政府の参画比率が引き上げとなれば、政府権益の保有機関としての一層の透明性向上が求められる。民間企業としての戦略性と権益保有機関としての公共性の両方を担保しながら、このアクションプランに沿ってどの程度まで目標を達成できるかが、同社「復活」の鍵となる。


注釈:

1. Mobutu大統領の推し進めたザイール化政策の実態は大統領の近親や側近への資産分与であり、一般国民の立場で見れば、搾取する者が旧宗主国から独裁者へ代わったに過ぎなかった。

2. 1974年の一人当たりGDPは484US$であり、当時のインドネシア(412US$)よりも高く、ケニア(490US$)と同水準であった。

3. コンゴ鉱山開発社(日本鉱業57%⇒52%、住友金属鉱山・古河鉱業・三井金属鉱山・東邦亜鉛・日商岩井52%、後に三菱金属、同和鉱業が参加)

4. ソデミコ

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